沖縄での平和活動~過去の戦争から学ぶ~

平和の火

会社の組合活動の1つ、

沖縄での平和活動に参加させてもらいました。

今回の企画では

『過去の戦争から学ぶ』

『現在の基地問題を考える』

という2つのテーマがあったように思います。

とてもたくさんの経験をさせてもらい、

たくさんの想いを持ち帰ったので、

記事は2つに分けさせてもらいます。

本記事は『過去の戦争から学ぶ』に特化した内容をお伝えします。

『現在の基地問題を考える』記事はこちらのリンクからご覧下さい。

【ひめゆり平和記念資料館】

今回、戦争関係の記念館にたくさん立ち寄らせてもらいましたが、

このひめゆり平和記念資料館を一番初めに訪れました。

ひめゆり記念館

第二次世界大戦(太平洋戦争)の沖縄戦において

戦争で多くの命が奪われる事になった

沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の関係者を慰霊し

戦争の悲惨さを後世に伝える為に建てられた施設です。

将来の夢を抱いて学業に励む中、戦争が始まり、

学業ではなく戦争で役立つ為の教育を受ける事になり、

実際に戦地の真っただ中の劣悪な環境下で負傷者の看護介護にあたり

戦闘に敗れても投降する事を許されず。

戦地の真っただ中で解散命令を出された学生達のほとんどが

戦争の犠牲になりました。

【平和記念公園-平和の礎】

平和の礎(沖縄の方言で「いしじ」と読みます)は

平和記念公園内にあり、主に沖縄戦で無くなった方々を

身分や立場、国籍を問わず刻銘したものです。

平和の礎1

扇状に配置された平和の礎の要の部分にある

「平和の火」「さざなみの池」です。

平和の火

平和の火は、

沖縄戦最初の米軍上陸地である阿嘉島から採取した火と、

被爆地の広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの火」を合わせたものです。

普段円錐上部の火は点いておらず、火種は地下に保管してあるそうです。

円錐状の噴水から水が流れ、平和の火を中心に波紋が広がっていきます。

この沖縄の地から世界に平和の波が広がるようにという意味があります。

平和の礎2

平和の礎の刻銘碑も平和の波をイメージした配置になっています。

この刻銘碑には、日本人に次いでアメリカ人の名前も多いですが、

他にも韓国、北朝鮮、台湾、イギリス人の名前もありました。

これはどういう事か調べていく中で、

「敗戦国日本」「激戦地沖縄」という構造だけではない

沖縄戦の一面を知る事になりました。

当時日本は戦争を繰り返し様々な国を支配下に置いていました。

沖縄戦の他にも日本各地で、支配下の国の人々を

戦地の労働力として連れてきて過酷な扱いをしています。

そんな中で無くなった方々の中のほんの一部の名前です。

名前が分からなかったり、

遺族から「日本人と一緒に刻銘されたくはない」

拒否されて刻銘できない事もあるそうです。

忘れてはいけません。

この時代は他の国々もそうですが、

日本も戦争を繰り返し、

奪い、殺める側でもあったのです。

これはまぎれもない事実です。

【たくさんの記念館や激戦地を訪れました】

平和記念公園内にあり、沖縄戦の歴史や展示品

写真や日記等から様々な視点の事実を伝える

平和記念資料館

沖縄戦終戦後、最も早くに建てられた慰霊碑と言われる

魂魄の塔

自然の洞窟を利用した自然の防空壕「豪(ガマ)」の中でも

ひめゆりの学生達が配属された

糸数豪(アブチラガマ)

沖縄戦の中でも最大級の戦闘の1つとして知られる激戦地

嘉数の戦いが行われた嘉数高台

集団疎開の途中に沈没して多くの幼い犠牲を出した対馬丸の事を伝える

対馬丸の記念館

それぞれの説明は割愛しますが、

是非リンク先のサイトで歴史を知って欲しいです。

【沖縄で戦争の歴史を知って思う事】

戦争ほど愚かで残酷で悲しい事は無い。

ありきたりな言葉かもしれませんが、

戦争の歴史を知る時まず真っ先にこの事を再認識します。

何かを得る為、何かを解決する手段として戦争ほど悲しい手段はありません。

でも今まさにこの世界で戦争が行われています。

戦争を体験していない世代同士で、過去の戦争を理由にいがみ合ってもいます。

戦争だけではなく、世の中には大小様々な争いがありますが、

その原動力は人それぞれの「正義」「愛」だと僕は思っています。

人の数だけ様々な「正義」と「愛」があり、

同時にそれは別の人にとっては「暴力」や「悪」でもあります。

人それぞれ考えが違って当然だし、

多様性を受け入れて協力して発展しようという

ダイバーシティ・インクルージョンという考えが浸透しつつありますが、

理解、許容し切れない多様性は争いの種になってしいます。

どうすれば争いが無くなるのか、

どうすれば理解し合えるのか、

永遠の謎のようにも聞こえますが、

この謎に直面し、今まさに命を落としている人や

危険と隣り合わせの人が居る事を忘れてはいけません。

【様々な視点】

沖縄で戦争の歴史を知る中で、

戦争を「加害者」「被害者」で分ける事なんて出来るのか?

という1つの疑問が浮かびました。

・アメリカが日本に勝利した

・日本軍がパールハーバーで勝利した

・激戦地の戦いが16日も続いた

・日本兵がアメリカ兵を撃った

・アメリカ兵が日本の子どもにチョコをあげた

ほんの一部ですが、同じ戦争でも言い方や

ある場面を切り出しただけでも目の前の事実だけでは

語り切れない背景があります。

別の戦争では日本軍勝利の知らせを聞いて

国民は歓喜に沸いたと思います。

戦地で亡くなった日本兵や敗戦国の方々、

敗戦国の国民のその後の処遇について思いを馳せた日本人は

どのくらい居たでしょうか。

又、ある曲の歌詞にもありますが、

海外での飛行機墜落事故のニュースで

「乗客に日本人はいませんでした」

という報告を聞いて何を思うのか。

それは人それぞれの立場によって違います。

【今自分に出来る事】

「戦争が起きた」

これは紛れもない事実です。

この事実を知っていればテストで点を取れるかもしれません。

でも、その事実だけで思考を止めてはいけません。

なぜ戦争が起きたのか。

その背景に何があったのか。

その中で何があったのか。

その後どうなったのか。

歴史を知るという事は、それらを受け止めて

過去に学んで今に活かすという事だと思います。

今の自分に出来る事は何なのか。

模索中で答えはなかなか出ませんが、

自分が知った事実を、感じた想いを、

身近な家族や友人、仲間に伝える事が

今の自分に出来る事だと思っています。

自分一人に出来る事は小さいけど、

一緒に考え、伝えていく事が

解決の可能性を少しずつ、確実に広げていく事に繋がると思います。

 


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